五常カードの「信の手当て」。
弱い人を助ける。か弱き人をはぐくむことは共に自分を底上げすること。
そのカードに込められた言葉には、か弱き人を助けるという深い意味が隠されているように感じました。この言葉が私にもたらした気づきを通して、日常の中で見逃していたものに気づくことができました。
まず、「か弱き人」とは何なのか?
私は最初、患者さんや病気に苦しむ人々を指しているのだろうと思っていました。しかし、母の体調が優れなくなり、家事を手伝うことが増えたことで、私はこの言葉の意味が広がっていることに気づきました。
母との関わり
母が1日中テレビを見ていることに対する私の苛立ちやモヤモヤ。これは母を「か弱き人」として見ていたのかもしれません。そして、私はその苛立ちから逃れるために、自分の時間を大切にし、何かをすること、何かをしなければならないと自分自身を追い込んでいたのです。
五常カードの「信の手当て」は、その苛立ちやモヤモヤを解消する手段を示唆してくれました。母のか弱き瞬間に寄り添い、理解しようとする姿勢が、私たち自身の弱さにも気づかせてくれるのです。
自分自身の弱さ
母が体調を崩したことを通じて、私は自分自身の弱さに気づきました。それは身体的な弱さだけでなく、心の充実感の欠如でもありました。何かをしていないと存在してはいけないという思い込みが、私を追い詰めていたのです。
「か弱き人を助ける」とは、他者だけでなく、自分自身に対しても当てはまることなのかもしれません。自分が、か弱き状態にあるとき、他者の手助けや理解が必要なのです。そして、その手助けは時には自分に向けられるものであり、それを受け入れることが重要なのです。
休むことの大切さ
最近、私に伝えてくれたもう一つのメッセージは「休むことの大切さ」でした。自分を追い込んでいた日々の中で、休息が欠如していたことに気づきました。そして、その休息こそが、か弱き人を助ける一環なのかもしれません。
自分が休息し、心身ともに癒されることで、他者に対する理解や寄り添いも深まります。五常カードが教えてくれた「信の手当て」は、その一環として自分にも向けられるべきなのです。
気づき
私は母の状態を通じて、五常カードのメッセージと自分自身の気づきを結びつけることができました。か弱き人を助けるとは、他者だけでなく、自分自身も含まれること。そして、休息こそがその一環であり、心の充実感を取り戻す手段であることを理解しました。
この気づきを通じて、私は日常の中でより柔軟かつ寛容な心を持ち、か弱き人を助ける意味を深く理解するようになりました。五常カードがもたらしたこの学びは、私にとって宝物のようなものであり、これからも大切に育んでいきたいと思います。
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